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時間の感覚や声の質がよくわからなくなります。


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ふと何かを感じられた瞬間や残したいと思えた瞬間を自分なりの視点で残すことができたら、それは私がここに来た跡になるな、と考えました。


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生き生きした茅がどういうものなのかは少し分かったように思います。

(無人の中茅葺き屋根に桜が散るのは贅沢な景色。)


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(桜は美しいのに、心待ちにした人はお預けされてしまう。)


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茅を一日中触っていました。感覚が手に残ります。茅に囲まれていると、いろんな角度から観察ができて飽きません。ススキの表面にはガラスと同じ成分が含まれているそうで、テカリがあります。屋根の上は反射して夏場は目が痛いと渡辺さんも言っていました。屋根は鱗のように光の濃淡があって、奥行きがよくわからなくなります。

茅が整っていきます。もともと綺麗だと思っていたけど、不必要な部分を取り除き、形や厚さ、向きを整頓すると想像以上に見違えました。森から切って来た木を製材したような、今すぐに何かを作れそうな予感が走ります。同時に、大量の「ごみ」が出ます。この部分は畑にでも使うのかと思えば、ゴミ処理場で焼却するとのことです。もったいないので何かに使えないかを考え始めました。


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(肩書きを「地域おこし協力隊」と名乗る。「作家」の時とどんな違いが出るだろう。)


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サングラスを通した景色が、写真のように綺麗で、これまで見ていたものはあまりにも光が強かったのだと思いました。桜の花びら一枚一枚に陰影を見て、水に反射する光が煌めいて揺れるのが鮮明に写ります。茅も水のように輝きます。


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今日から撮影を始めました。午前は風土記の公園を歩きながら撮影を行いました。カメラがあると、見えるものが突然増えて、集中力を使います。


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(素材を手で触りながら、同時にレンズを通して見ることはすごく面白い。早く現像してみてみたい。)


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ようやく50束を超しました。まだまだ終わりは見えません。こまるきは精神統一に丁度よく、いろんな事を考えます。いろんな事を思いつきます。企むことに気が取られても、手は止まらなくなってきました。


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石岡(主に八郷)で感じることの一つに、「よそ者に抵抗、特別な関心がない」が挙げられます。多くの地方では歩くだけでチラッと見られたり、「どこから来たの」と尋ねられます。ここはそれがありません。どちらかというと、「今どこに住んでるの」です。市内でも地域ごとに雰囲気があって、距離があります。市外だろうと、県外だろうと、どこかの地域から来た人で、少し近づいたらしい。くらいの認識でしょうか。とても嬉しいのです。

(田んぼに水が張られて、この時期は景色の大部分が空で楽しい。)


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今日は初めて現場に行きました。

現場はやっぱり楽しいです。そして使われている茅の家は本当に美しい!


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茅を束ねる作業中に出たゴミを焼却場へ持っていきました。ゴミと言っても個人的にとっておこうかと悩むほど素材として魅力的なものです。保管する場所が無く断念しました。

(藤が綺麗に咲き始めた。突然暖かくなったのでパンジーが枯れそう。)


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写真も撮り始めています。最初の一巻きを飯村さんから受け取って、まだフィルムの段階ですが既に期待が膨らみます。茅はやっぱり光が面白い。先日現場へ行った際も渡辺さんと家主に許可をもらい撮影しました。そのフィルムはまだ現像されていませんが、風土記の丘敷地内で自在に撮るのと、現場で撮るのは集中力の入り方が全く違い、正直戸惑いました。なるべく生の空気を撮れる様、鍛えなくてはなりません。楽しみです。

(パンジーは生き返った。)


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ようやく最初のノルマが達成されました。これからはまた別の種類の茅の作業に移ります。整頓されて積まれた茅の束たちは綺麗で、嬉しくなります。植物が、素材へ移った感覚です。曇ったり、晴れたり、陽が登ったり落ちたり、茅が照らされて、照り返してつくる色の変化が、少しずつ見える様になってきました。今日の茅、今の茅を、写真に収めることが楽しいです。


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風土記の丘内蕎麦屋の屋根の修繕を手伝いました。

(スズメバチが屋根の上に巣を作っていた。)

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